2016-05-02(Mon)
単身時代に腰部脊柱管狭窄症 その②
7年前の単身赴任時代の事ですが、会議
中に腰に激痛が走って、その場から全く
歩けなくなってしまった。
北九州では、小文字病院にこの病気の名
医がいるとの事で、すぐに入院した。
お袋が他の病院ではあるが、看護婦だっ
たので、そのつてで、入院することが出
来たようである。
家族や親せきに、医療関係者がいるとコ
ネが使えるのでとても助かるのである。
入院した時には、すでに一歩も歩く事が
出来ず、ベットの上では、右も左も向けず、
少しでも動くと腰に激痛が走るような状況
まで悪化していた。
丁度GWの最中だったので、GWが明ける
迄手術が出来ないとの事で、痛み止めの注
射や座薬で痛みを抑える事しか出来ず、正
直地獄であった。
GWが明け、手術も無事終わり、次の日に
はギブスをして歩行訓練をするという、過
酷とも思えるスケジュールであった。
不思議な事に、術後は、傷口は痛むものの、
腰の痛みは全くなかった。
足のしびれは少し残ったが、許容の範囲だった。
術後2週間して退院となった。
入院前からすると、とても良好に生活が出来
るようになったが、いつ又腰が痛くなるかと
思うと、走る事が出来なくなってしまった。
近所のスイミングスクールで、スイムウォー
キングを申込み、毎週末通うことにした。
お袋に、「脊柱管が細いというには、遺伝じゃ
ないの」と聞いてみたがが、「そんな事ないよ」
と言っていたお袋が、3か月後に同じ手術を受け
たので、やはり遺伝だったんだと勝手に思って
いる。
中に腰に激痛が走って、その場から全く
歩けなくなってしまった。
北九州では、小文字病院にこの病気の名
医がいるとの事で、すぐに入院した。
お袋が他の病院ではあるが、看護婦だっ
たので、そのつてで、入院することが出
来たようである。
家族や親せきに、医療関係者がいるとコ
ネが使えるのでとても助かるのである。
入院した時には、すでに一歩も歩く事が
出来ず、ベットの上では、右も左も向けず、
少しでも動くと腰に激痛が走るような状況
まで悪化していた。
丁度GWの最中だったので、GWが明ける
迄手術が出来ないとの事で、痛み止めの注
射や座薬で痛みを抑える事しか出来ず、正
直地獄であった。
GWが明け、手術も無事終わり、次の日に
はギブスをして歩行訓練をするという、過
酷とも思えるスケジュールであった。
不思議な事に、術後は、傷口は痛むものの、
腰の痛みは全くなかった。
足のしびれは少し残ったが、許容の範囲だった。
術後2週間して退院となった。
入院前からすると、とても良好に生活が出来
るようになったが、いつ又腰が痛くなるかと
思うと、走る事が出来なくなってしまった。
近所のスイミングスクールで、スイムウォー
キングを申込み、毎週末通うことにした。
お袋に、「脊柱管が細いというには、遺伝じゃ
ないの」と聞いてみたがが、「そんな事ないよ」
と言っていたお袋が、3か月後に同じ手術を受け
たので、やはり遺伝だったんだと勝手に思って
いる。