2016-04-26(Tue)
アンバサダーホテルの結婚披露宴 余談④
結婚披露宴がお開きになり、私とお袋は、
姉(次女)の運転する車で、姉の家がある
南流山へ移動。
もう一台は甥っ子の運転で、女房の母と
うちの次男を乗せ東京駅へ立ち寄り、同
じく南流山へ移動。
女房の母は栃木に、うちの次男は、日曜日
に試合がある為、日帰りで京都へ帰ってい
った。
義兄(次女の夫)の家は、息子3人で、長男が
札幌、次男が名古屋、三男が東京で勤務して
いるが、お袋がこちらに来たので、義兄から
帰って来るように言われたらしく、賑やかな家
庭内2次会となった。
なっちゃん



私は、何もしていないのに疲れていて、すぐに
ソファーで寝てしまい、みんなの楽しい会話の
中には入れなかったが、楽しい時間を頂く事が
出来た。
次の日、8時に女房殿と娘が、ディズニーシ―
に朝イチから行くというので、帰っていった。
9時には、義兄の次男が沼津で仕事があるとの
事で、車で帰って行った。
11時に、義兄の3男を残し(車に5人しか乗れ
ない為)いざスカイツリーへ出発。

思い起こせば、あと数か月でスカイツリー完成
となった時に、単身赴任が解かれ、九州に戻っ
てしまったので、それ以来まじまじと見たことが
なかった。
単身赴任中は、住吉駅(半蔵門線、都営新宿線)
に住んでいたので、週末は自転車で真下まで行
き、写真を撮っていたが、先っぽが出来るすんで
で、写真撮影は叶わないものとなってしまった。
今回、完成後初めて行くことが出来、下から見て
も上から見下ろしても、素晴らしい建物で、感動
してしまった。
お袋も死ぬまでに、こんなとこに来れてと感動し
ていたが、85歳の年寄りにはあの高さは凄すぎ
て足が震えると、窓の外には近寄らないし、床が
ガラス張りになっているところも、遠くから眺めて
いるだけだった。
今回行けて良かったが、2,000円とその上にあが
るには、またお金が掛かり、更に最上にある予約
で一杯のレストランも高いらしく、何ともお金の掛か
る施設である。
食事は、近所にあった元貴闘力の経営する焼肉屋
で済ませ、羽田空港に向かった。
今回の件で、汚点と言えば、最後の最後で、羽田空
港の第一と第二ターミナルを間違え、お袋を相当距
離歩かせてしまったしまったことであった。
お袋は最後には歩けなくなってしまい、車椅子の御
世話になってしまった。
それでもみんなに良くしてもらって、すべて滞りなく
進められたことの感謝しても仕切れない2日であった。
姉(次女)の運転する車で、姉の家がある
南流山へ移動。
もう一台は甥っ子の運転で、女房の母と
うちの次男を乗せ東京駅へ立ち寄り、同
じく南流山へ移動。
女房の母は栃木に、うちの次男は、日曜日
に試合がある為、日帰りで京都へ帰ってい
った。
義兄(次女の夫)の家は、息子3人で、長男が
札幌、次男が名古屋、三男が東京で勤務して
いるが、お袋がこちらに来たので、義兄から
帰って来るように言われたらしく、賑やかな家
庭内2次会となった。
なっちゃん



私は、何もしていないのに疲れていて、すぐに
ソファーで寝てしまい、みんなの楽しい会話の
中には入れなかったが、楽しい時間を頂く事が
出来た。
次の日、8時に女房殿と娘が、ディズニーシ―
に朝イチから行くというので、帰っていった。
9時には、義兄の次男が沼津で仕事があるとの
事で、車で帰って行った。
11時に、義兄の3男を残し(車に5人しか乗れ
ない為)いざスカイツリーへ出発。

思い起こせば、あと数か月でスカイツリー完成
となった時に、単身赴任が解かれ、九州に戻っ
てしまったので、それ以来まじまじと見たことが
なかった。
単身赴任中は、住吉駅(半蔵門線、都営新宿線)
に住んでいたので、週末は自転車で真下まで行
き、写真を撮っていたが、先っぽが出来るすんで
で、写真撮影は叶わないものとなってしまった。
今回、完成後初めて行くことが出来、下から見て
も上から見下ろしても、素晴らしい建物で、感動
してしまった。
お袋も死ぬまでに、こんなとこに来れてと感動し
ていたが、85歳の年寄りにはあの高さは凄すぎ
て足が震えると、窓の外には近寄らないし、床が
ガラス張りになっているところも、遠くから眺めて
いるだけだった。
今回行けて良かったが、2,000円とその上にあが
るには、またお金が掛かり、更に最上にある予約
で一杯のレストランも高いらしく、何ともお金の掛か
る施設である。
食事は、近所にあった元貴闘力の経営する焼肉屋
で済ませ、羽田空港に向かった。
今回の件で、汚点と言えば、最後の最後で、羽田空
港の第一と第二ターミナルを間違え、お袋を相当距
離歩かせてしまったしまったことであった。
お袋は最後には歩けなくなってしまい、車椅子の御
世話になってしまった。
それでもみんなに良くしてもらって、すべて滞りなく
進められたことの感謝しても仕切れない2日であった。