2016-04-05(Tue)
小倉発 明石焼き たこ焼「きど」のお姉さん 永眠
今から40年くらい前、まだ高校生だった私を
5歳年上の姉が、当時小倉北区の鳥町食堂街に
あった、明石焼き たこ焼「きど」に連れて
行ってくれた。
明石焼きとは、明石で「玉子焼」とも呼ばれ、
つゆで食べる、たこ焼きの事である。
この名店は、当時まだ開店したばかりで、店
主の木戸良子さんが、関西の短大時代アルバ
イトしていた事から卒業後に、開店。
たこ焼きの他、お好み焼きの生地に、ねぎと
ちくわが入っただけの一銭洋食も絶品だった。
高校卒業後に、予備校に通っていた時も頻繁に、
お邪魔して、その後、井筒屋百貨店の道を挟ん
だ路地にビルを建てて店を移した。
ビルの3階で、分かりにくく、入りにくいお店
ではあったが、明石焼き好きには愛された店で
あった。
大学時代も帰省するたびに、お店に入りびたり
恋愛の話から、将来の話、家族の話、趣味等何
でも相談したり、談笑したりと楽しい時間を過
ごした。
就職の時の事である。
当時うちの親父が国鉄で定年間際だったので、私
を国鉄に入社させるべく、動いていたらしいが、
丁度民営化の間際であった事から、親父本人から
国鉄には、就職させられんって言ってきた。
当時国鉄は、父親が退職する代わりに、息子等の
親族が入社できるという「裏の約束事」があった
為、私自身、国鉄にはいるつもりでいたので、急
いで就職先を決めなければならなくなった。
その時も木戸のお姉さんは、相談に乗ってくれた
だけではなく、お姉さんの親友のお兄さんが市会
議員であったので、今の会社に押し込んでくれた
のである。
恩人である。
その後も、少し距離は置きながらも、かれこれ40
年経ったある日、この前ガンで入院したんだけど、
「心配するやろうから、言わんかったんよ」
えって感じでしたが、状況や状態を詳しく聞き、
ひとまずは安心できると思っていたが、その後す
ぐに、お店を閉店した。
連絡も相談もくれずに、お店に張り紙で、「長い
間~閉店させて頂きます」
つき合いが長かったので、寂しかったと同時に、
一大事なんだと直感で分かった気がした。
その後連絡もくれずに、黄泉の国へと旅立ってしま
った。
「お見舞いに来てもらってもいい状態になったら、
連絡するから今は来なくていいよ」って言葉を真に
受けてしまった私は、後悔しても仕切れなかった。
大げさだけど、私の青春だった。
お店もお姉さんも。
長い間ご苦労様でした。
あちらでも美味しいたこ焼を作って待っていてください。
そのうち私もまたお邪魔しますから。
5歳年上の姉が、当時小倉北区の鳥町食堂街に
あった、明石焼き たこ焼「きど」に連れて
行ってくれた。
明石焼きとは、明石で「玉子焼」とも呼ばれ、
つゆで食べる、たこ焼きの事である。
この名店は、当時まだ開店したばかりで、店
主の木戸良子さんが、関西の短大時代アルバ
イトしていた事から卒業後に、開店。
たこ焼きの他、お好み焼きの生地に、ねぎと
ちくわが入っただけの一銭洋食も絶品だった。
高校卒業後に、予備校に通っていた時も頻繁に、
お邪魔して、その後、井筒屋百貨店の道を挟ん
だ路地にビルを建てて店を移した。
ビルの3階で、分かりにくく、入りにくいお店
ではあったが、明石焼き好きには愛された店で
あった。
大学時代も帰省するたびに、お店に入りびたり
恋愛の話から、将来の話、家族の話、趣味等何
でも相談したり、談笑したりと楽しい時間を過
ごした。
就職の時の事である。
当時うちの親父が国鉄で定年間際だったので、私
を国鉄に入社させるべく、動いていたらしいが、
丁度民営化の間際であった事から、親父本人から
国鉄には、就職させられんって言ってきた。
当時国鉄は、父親が退職する代わりに、息子等の
親族が入社できるという「裏の約束事」があった
為、私自身、国鉄にはいるつもりでいたので、急
いで就職先を決めなければならなくなった。
その時も木戸のお姉さんは、相談に乗ってくれた
だけではなく、お姉さんの親友のお兄さんが市会
議員であったので、今の会社に押し込んでくれた
のである。
恩人である。
その後も、少し距離は置きながらも、かれこれ40
年経ったある日、この前ガンで入院したんだけど、
「心配するやろうから、言わんかったんよ」
えって感じでしたが、状況や状態を詳しく聞き、
ひとまずは安心できると思っていたが、その後す
ぐに、お店を閉店した。
連絡も相談もくれずに、お店に張り紙で、「長い
間~閉店させて頂きます」
つき合いが長かったので、寂しかったと同時に、
一大事なんだと直感で分かった気がした。
その後連絡もくれずに、黄泉の国へと旅立ってしま
った。
「お見舞いに来てもらってもいい状態になったら、
連絡するから今は来なくていいよ」って言葉を真に
受けてしまった私は、後悔しても仕切れなかった。
大げさだけど、私の青春だった。
お店もお姉さんも。
長い間ご苦労様でした。
あちらでも美味しいたこ焼を作って待っていてください。
そのうち私もまたお邪魔しますから。