2016-07-26(Tue)
ちびっこラガーマンの暑い夏
次男が小学校6年生の夏の事。
私は東京に単身赴任中で、御盆の休暇で
帰北していた。
丁度、マイクロソフト杯というラグビー大会
が熊本阿蘇で開催されており、息子も出場し
ていたので、夫婦で観戦に出掛けた。
2試合目に、競技場の土手の上で試合を観戦
していたら、試合終了間際、次男がタックル
され場外に。
私達夫婦は、土手からの視界から次男が消え
てしまったので、どうなったのか?一瞬わか
らなかった。
程無く担架が持ち込まれ、その上に次男が乗
っていた。
近付いて行くと、右手を押さえ、痛がっており、
見る見る間に手首が腫れあがって来た。
会場にいたドクターが、2リットルのペットボ
トルを縦に半分にし、それを息子の手に巻き、
その上からガムテープでグルグル巻きにした。
その後、近所には外科が無く、内科でレントゲ
ン写真を撮り、右手首の太い骨がぽっきり折れ
ていたのが見てとれた。
次男が、レントゲン撮っている間に、チームメ
イトのS君が救急車で運ばれて来た。
全く動いてない。
お母さんが傍で、息子の名前を泣きながら叫んで
いるが、ピクリともせず反応はない。
お母さんは、私に抱きついて来て、「息子を助け
て」と泣き崩れた。
呼吸はしているので、命に別状はない事は分かっ
たが、一大事である事は分かった。
うちの次男も重症だが、この子と母親を見ている
と気が気でなかった。
その後、私たちは先に病院を後にしたので、状況
は分からなかったが、この子は、熊本市内の大き
な病院に行ったそうだ。
病名は脳震盪。
正直、この後ラグビーを辞めると思っていたが、
また復帰して来た。
「ラグビーやる」と息子が云うのでと両親は云っ
ていた。
病院を後にした私たちは、チームメートのお父さ
んが運転する車で、八幡の製鉄病院迄4時間車
を走らせてもらった。
車中、痛いがる次男を介抱しながら、「もうラグ
ビー辞める?」と聞くと「辞める」って云うと覚
悟していたが、次男も「ラグビーやる」といった。
暑い夏だった。
私が帰って来ている時で良かった。
女房殿一人だと、精神的に大変だったと思う。
こんなに痛いスポーツなのに、まだ続けている次男。
辞めない理由かなんだか?続ける理由がなんだか?
本人は語ろうとしない。
私は東京に単身赴任中で、御盆の休暇で
帰北していた。
丁度、マイクロソフト杯というラグビー大会
が熊本阿蘇で開催されており、息子も出場し
ていたので、夫婦で観戦に出掛けた。
2試合目に、競技場の土手の上で試合を観戦
していたら、試合終了間際、次男がタックル
され場外に。
私達夫婦は、土手からの視界から次男が消え
てしまったので、どうなったのか?一瞬わか
らなかった。
程無く担架が持ち込まれ、その上に次男が乗
っていた。
近付いて行くと、右手を押さえ、痛がっており、
見る見る間に手首が腫れあがって来た。
会場にいたドクターが、2リットルのペットボ
トルを縦に半分にし、それを息子の手に巻き、
その上からガムテープでグルグル巻きにした。
その後、近所には外科が無く、内科でレントゲ
ン写真を撮り、右手首の太い骨がぽっきり折れ
ていたのが見てとれた。
次男が、レントゲン撮っている間に、チームメ
イトのS君が救急車で運ばれて来た。
全く動いてない。
お母さんが傍で、息子の名前を泣きながら叫んで
いるが、ピクリともせず反応はない。
お母さんは、私に抱きついて来て、「息子を助け
て」と泣き崩れた。
呼吸はしているので、命に別状はない事は分かっ
たが、一大事である事は分かった。
うちの次男も重症だが、この子と母親を見ている
と気が気でなかった。
その後、私たちは先に病院を後にしたので、状況
は分からなかったが、この子は、熊本市内の大き
な病院に行ったそうだ。
病名は脳震盪。
正直、この後ラグビーを辞めると思っていたが、
また復帰して来た。
「ラグビーやる」と息子が云うのでと両親は云っ
ていた。
病院を後にした私たちは、チームメートのお父さ
んが運転する車で、八幡の製鉄病院迄4時間車
を走らせてもらった。
車中、痛いがる次男を介抱しながら、「もうラグ
ビー辞める?」と聞くと「辞める」って云うと覚
悟していたが、次男も「ラグビーやる」といった。
暑い夏だった。
私が帰って来ている時で良かった。
女房殿一人だと、精神的に大変だったと思う。
こんなに痛いスポーツなのに、まだ続けている次男。
辞めない理由かなんだか?続ける理由がなんだか?
本人は語ろうとしない。