2016-05-14(Sat)
戸ノ上山での散骨
2010年10月に親父が亡くなった。
享年84歳。
前立腺がんだった。
私は、長男でとてもかわいがってもらい
大事に育てられた方だと思っている。
亡くなる前に入院していたベットの上で
「この年だけど、まだやり残したことがあるんだ」
「なに?」って聞くと
「志願兵で、兵庫県の山奥で訓練受けていたん
だけど終戦になったんだけど、そこに行きたいんよ」
「退院したら行こうか」
「そうやね」
それが親父と最後に交わした言葉だった。
亡くなって、少しだけの遺骨を骨壺に入れずに
仏壇の奥にしまっておいた。
親父が最後に行きたかった場所に、散骨しようと
思ったからだった。
場所は、大体の見当をつけたが、思い直した。
親父は亡くなる前に、行きたい所があるって
行ったけど、ほんとにそうだったのだろうか。
親父は、国鉄に勤めていたので「無料パス」も
持っていて、尚且つどこでもフットワーク良く一人
で出かける行動力のある人だった。
歴史も好きだったから、場所の特定等含め、その
時まで出来ない話ではなかったはずだ。
私にはそう言ったが、一番行きたくない場所、思い出し
たく無い場所であり、単に行きそこなった場所ではなか
ったのだろうか。
今となっては真意はわからないが、私なりに考えると、
そんな場所に、散骨なんてありえないなぁと反省。
それじゃ、地元の「戸ノ上山」好きだったからと、家族に
相談し、女房殿と次男で山登り。
世間では、してはいけない事らしいが、散骨した。
眺めも良く、門司が好きだったので、戦争の事思い出す
場所より「ここがいい」って聞こえた気がした。
□登山途中の景色

□道しるべ

□山頂でみんなでご飯

□山頂の景色


この山の下にある、関門海峡にも少しだけ散骨した。
享年84歳。
前立腺がんだった。
私は、長男でとてもかわいがってもらい
大事に育てられた方だと思っている。
亡くなる前に入院していたベットの上で
「この年だけど、まだやり残したことがあるんだ」
「なに?」って聞くと
「志願兵で、兵庫県の山奥で訓練受けていたん
だけど終戦になったんだけど、そこに行きたいんよ」
「退院したら行こうか」
「そうやね」
それが親父と最後に交わした言葉だった。
亡くなって、少しだけの遺骨を骨壺に入れずに
仏壇の奥にしまっておいた。
親父が最後に行きたかった場所に、散骨しようと
思ったからだった。
場所は、大体の見当をつけたが、思い直した。
親父は亡くなる前に、行きたい所があるって
行ったけど、ほんとにそうだったのだろうか。
親父は、国鉄に勤めていたので「無料パス」も
持っていて、尚且つどこでもフットワーク良く一人
で出かける行動力のある人だった。
歴史も好きだったから、場所の特定等含め、その
時まで出来ない話ではなかったはずだ。
私にはそう言ったが、一番行きたくない場所、思い出し
たく無い場所であり、単に行きそこなった場所ではなか
ったのだろうか。
今となっては真意はわからないが、私なりに考えると、
そんな場所に、散骨なんてありえないなぁと反省。
それじゃ、地元の「戸ノ上山」好きだったからと、家族に
相談し、女房殿と次男で山登り。
世間では、してはいけない事らしいが、散骨した。
眺めも良く、門司が好きだったので、戦争の事思い出す
場所より「ここがいい」って聞こえた気がした。
□登山途中の景色

□道しるべ

□山頂でみんなでご飯

□山頂の景色


この山の下にある、関門海峡にも少しだけ散骨した。