2016-03-18(Fri)
会社の大先輩でもあり、尊敬できる
地図屋のなかの地図屋のはなし。
今年の7月に定年を迎える。
若い頃、日本酒の利き酒大会で優勝
したこともある能力を兼ね備え、無
類の酒好きでもあり、燻製づくりは
玄人はだしである。
出身は、四国愛媛。
恥ずかしがり屋で、寡黙、人見知り
するタイプ。
4年8か月前に、東日本大震災で被災
した、岩手県釜石市に移り住み変わ
り果てた町を見続け、地図を作り続
けた地図屋である。
会社人生の半分弱の17年を、北海道
で過ごし、身体はきつかったが、心
がつらいのは被災地という。
新聞やテレビの取材も数知れず、3月
14日の読売新聞に掲載された記事の
中で、印象深い言葉をいくつか。
津波の後の火災により「真っ黒だった。
いつまでも焦げたにおいが残って」
「目の前の光景も、その中に自分がい
る事も信じられなかった。『これは現
実なんだ』と思いたくてもできなかった」
被災者の若いお母さんは、「津波の中
で離してしまったの、子供の手…」
締めくくりに、「三陸から託された一
生の宿題」として三陸の今と人を伝える
「語り部」となる。
この先輩に、「地図屋のなかの地図屋で
すね」というときっと照れるでしょうが、
本当なんです。
2016-03-14(Mon)
日経新聞3月13日に、「女川町職員の
決意」と題する、認知行動療法研修開
発センターの大野さんの記事に、目が
留まった。
女川町職員の方の長男さんが、東日本
大震災の津波にのまれて亡くなられた
時の話である。
その職員さんは、自分は公的な仕事を
しているので、何か事が起きても年老
いた両親を助けるような、私的な行動
を取ることはできない。
だから、そうしたときの手助けを自分
の長男に託していた。そして、その約
束を守って職員の両親を助けに戻って、
津波にさらわれたのだそうだ。
職員はそのような事を息子に頼んでい
たことを後悔して涙ぐみながら話をし
たそうである。
最後にこの職員が発した言葉は、「人
間は二度死ぬのだという。一度目は命
を落とした時だ。
そして二度目は、亡くなった人を覚え
ている人が亡くなった時だ。
二度目の命を落とさせないように、自
分はこれからも生きていく」
正直泣けてしまいました。
皆さんは【釜石の奇跡】と言われる出
来事をご存知でしょうか?
2,921人の生徒が、津波から無事に逃れ、
その生存率が99.8%であることから、
「釜石の奇跡」と言われるようになっ
た出来事です。
学校では、防災の授業があり、常日頃
から防災意識を持っていて、訓練時も
全力で走っていたそうです。
地震直後も釜石東中学校の生徒たちは、
自主的な判断で校庭を駆け抜け、隣接
する鵜住居小学校の生徒と高台へ避難
し、子供たちとその周辺の大人たち全
員が助かったそうです。
「津波てんでんこ」「命てんでんこ」。
「てんでんこ」とは各自のこと。
津波がきたら取るものもとらず、肉親
にもかまわず、各自てんでんばらばら
に自分で高台に逃げろである。
明治時代にすでに存在し、自分は助か
り、他人を助けられなかったとしても、
それを非難しないという不文律にもな
っている。
避難する本人だけでなく、 他者の避
難行動をも促すための仕掛けでもある。
この、「津波てんでんこ」を実践して
いれば、女川町職員の方の長男さんは
助かっていたかもしれない。
いくら、「てんでんこ」の教えのもと
防災訓練等を受けていても、自分の家
族に置換えて考えてみると、そんな事
がはたして自分に出来るだろうか?
たぶん、自分には出来ないであろう事は
想像できる。
正解のない行動や判断、今後何かの教
訓として語り継がれていくことを願わざる
を得ない。
2016-03-09(Wed)
東日本大震災当時から、復興に力を尽く
している会社の仲間からの情報です。
南三陸のゆるキャラ「オクトパス君」
南三陸は、「西の明石、東の志津川」と
呼ばれている、三陸地方でも美味しいタ
コが獲れる産地です。
そんな産地の知名度を上げようと考えだ
されたのが、2009年に誕生した、タコを
モチーフにした「オクトパス君」
「置くとパス」と縁起を担ぐ言葉となる
事から合格祈願グッズとして販売されて
います。
一家に一個備えておけば、小中高大の受
験生には若干遅いですが、各種資格試験
の方のお伴に如何でしょうか。
「落ちない石」
石巻市に「釣石神社」というところがあ
ります。
昔から「落ちない石」として合格祈願に
来る人がいましたが、2011年の東日本大
震災でも落ちなかったことで、さらに人
気が高まったようです。
言葉では伝えずらいですが、石の下に行く
と、今にも落ちてきそうな迫力を感じる
そうです。
手前の石には絵馬が一周しています。ここ
も、東日本大震災の被害があり、階段に引
かれてある青い線のところまで津波が押し
寄せたそうです。
もうすぐ、東日本大震災から5年になりま
すが、「オクトパス君」の購入や「釣石神
社」の「落ちない石」を見に行くことでも、
震災を風化させず、少しでも、何かの役に
立つ事が出来るのではないでしょうか。
2016-03-02(Wed)
震災から5年、忘れないようにと思いました。
この公民館は、市指定避難所の市民体育館と
棟続きで、約80名が津波の犠牲になった。
2012年7月から解体工事を始める方針であった
が、このメッセージの存 在を知る市民や有職
者から「せめて壁だけでも残しておくことは出
来ないか」との声により、9月末に保存が完了
した。
その壁に書かれていたメッセージの2件を紹介
お母さんいつも本当にありがとね。
いつも夢に出てきてくれてうれしいよ。
いつも笑顔で優しくやっぱりお母さんはステキ。
体育館がとりこわされても、この場所の事絶対
忘れないからね。
本当にありがとう。
大好きなおかあさん、天国で私たち家族を見守
ってね。これからもがんばるからね。
夢に出てくるお母さんもいつも変わらない優し
い笑顔のお母さんで天国でもみんなと仲良くや
ってるかな~て安心してるよ。
何をするにも一生懸命で前向き家族のことみん
なのことを1番に考えてくれてる優しいお母さん
だったね。
これからもみんなのこと天国で見守ってね。
そして、7月になって置かれた「お母さんへ
の色紙」
「大切に育ててくれてありがとう。」
お母さん 大切に育ててくれてありがとう。
どんなに辛い時も、苦しいときも、
優しい笑顔をありがとう。
私を生んでくれてありがとう。
いつかまた幸せが訪れますように。
天国でお母さんが元気に暮らせますように。
2012.7.7
忘れてはいけない、風化してはいけない出来事。
でも、こんなメッセージを残せる子供を育てた
お母さんは、正直羨ましい。
平和ボケしないように、正面向き合って子供を
育てようと、改めて思った。